事業報告

平成23年度 第2回研修会

研修報告1 川内村の現状と課題

川内村避難所視察と研修

【遠藤村長】 
・現実はどうなのか、現場の実情を知ることは必要
住民目線、難しい。わざわざお越しいただいた。感謝します。
・明日1月31日帰村宣言。 いろんなとこどでいろいろ問題も出ている。避難指示より戻るオペレーション、本当に難しい。

【井出課長】
・原発隣接  避難訓練もなかった 120年の歴史
原発からの財源 核燃料税 8000万円 電源交付金 5000万円 
・2万ha原発から20~30キロ 地震も津波も被害ほとんどなしだった
震度6弱で死亡者0 原発事故さえなければ事故さえなければ…
・3月11日 新年度予算編成の3月議会終了後5分経たず地震
・3月12日 富岡町から朝5時に第1原発から10キロ、第2原発から6キロが避難してくださいということで、8千人川内村に避難してきた 小中学校体育館や集会所(19施設)で避難者対応
・13日原発水素爆発 川内村が最終的に避難したのは16日 
4日間村にいた 
・14日30㎞圏内屋内退避 富岡の受け入れもなかなかできない状況だったが自衛隊が引きついで、支援物資・食料・毛布が届いた
しかし、原発が次々爆発
・13日から通信網が全く途絶えた 川内はインフラ大丈夫だったが電話が通じなかった 1日はバッテリーだが13日以降連絡できない 
・県庁災対との連絡方法は防災無線ひとつ それで避難指示・食料・毛布の数を連絡した。残念なことに避難する際にはそういった情報は国からも県からもなかった。
・最終的に富岡・川内両町長で避難決定。受け入れようが入れまいが、ビックパレットの駐車場目がけ、燃料のある人は自主的にビックパレット駐車場に自主避難連絡 空はどんより 
・16日、朝8時半 住民に避難の連絡 輸送機関もなく、村と町の16台のバスで2往復。 夜11時避難完了 12時にビックパレットで合同対策 その後は安否確認
・9月議会で復興ビジョン 今後の課題は雇用・除染 
現在3000人避難 県内には2400名 仮設住宅、899人借り上げアパート1217人、
・9月30日緊急時避難準備区域は水素爆発の危険性が低く、川内村は放射線量が比較的低いので区域解除 4月から行政再開と帰村に向けてこれまで取り組んできた
・雇用の確保 生産年齢人口1700名の大部分500名が富岡・大熊町で働いていたが、サービス業を含めて雇用がなくなった。村内畜産・養鶏も廃業
・製造業の進出 除染:山林の木を燃やして発電
露地野菜:風評でできない ヤマト福祉財団に助成願い、村は地下水、飲料水は安全だったので水耕栽培で雇用確保
・除染:空間染料 大部分が1.0μSv以下⇒除染で0.2μSv(追加被ばく量1m)めざす 村の予算30億中、すでに50億を確保し除染に費やした 除染は難しくガイドラインがなかなか示されず、目標達成むり
・除染目標・帰還目標を別にして村民に説明
帰村 31日帰村宣言 1カ月に1回発行の瓦版で村民に伝える
強制ではない「帰れる人ときに帰ってください」

遠藤村長       井出課長
遠藤村長       井出課長

【質疑】
Q (福井県議)発災時、情報連絡がなく、村判断をされたのか?
A 【遠藤村長】 
屋内退避指示は枝野さんの15日朝、記者会見で知った
非常にしびれた 屋内退避が今の原発のよくない状況なんだとあらためて感じた。
14・15日未明の2・4号機爆発にびっくり 特に4号機、定期検査中なのに使用済み燃料プールが爆発かと驚いた。
国からの指示、富岡町民が川内村に避難すると実は総務課長から聞いた 総務課長には富岡町長から直接電話をよこした。
富岡町長も明確なオフサイトから連絡ないと言っている 16日の避難指示は両町長で判断。後からいろんなところで行ったかもしれないなどと話があるが、村長に直接届かない情報は情報ではない。
最終的に村民の安全確保するは僕の責任。その自分にしっかりした指示が来ないと言うのは情報ではない。まして電話不通、衛星電話1台すら混雑で使える状況ではない。
もっと怖かったのは、13日ころまでマスコミも役場にいた。ところが気づいたらいなくなっていた。どうなのっていうのが15日ころのこと。 
 15日夜 対策本部で、富岡町から川内に移ってきた警察本部が、「本部を川俣町に移す」と言った。何を考えているのか。
警察が先に避難するよとなりふざけるなと思った。守る人が!

Q (福井県議)ヨウ素剤の配布は?
A 【井出課長】
富岡町民は避難時、職員に飲んでもいいよと渡された。川内村で40歳未満飲んだ。村役場職員は何名か富岡からもらって飲んだ人もいた。若い職員は。
避難後16日、避難の後、川内村分だと県から届いたそうだ。
12日、東電の第2発電所副所長 原発状況を「電源供給できない」という情報を2回連絡した。その後爆発してからははない。対応指示はもちろん「ない」 状況説明ば2回ほどだけ。1回目:12日午後3時、1号機爆発、電源がないのでベントせざるを得ないと聞いた。13日爆発。

Q (福島町議)いち早く帰村宣 心を打たれた。勇断だ。若いお母さん方が帰らないのではという世論。30名の子どもが帰ると言う。村民の反応は?
A 【遠藤村長】
 反応は複雑 帰りたくても帰れないのでは・・・という思い 慎重
子どもは20%くらいしか帰らない 一人でも戻ればきちんと教育を受けさせる 困っているのは子どもたちの命を守るために子どもは即刻福島を離れろと言う論調 福島外で行っているが無責任。避難するリスクもある。プライベートな生活があっても狭い。田舎の広い家で生活してきたので、ストレスがたまる。ひとりなくなった。トータルで判断すべき。郡山は川内村より線量高い。住民は与えられることにも慣れている。一歩踏み出すことも難しい。自分たちのできることからまず1歩踏み出すべきだが難しい。言えない部分もある。 

Q(福島市魏)私たち(ボランティア)にできることは何か
A【遠藤村長】
 高齢者が多いのでありがたい 除染を勉強してから手伝っていただけるといい。また、震災で家の中が荒れている。整理など高齢者がなかなかできないのでお手伝いがあるとありがたい

Q(福井県議)オフサイトセンターの情報が入るようになったのはいつごろ? どうしていったらいいか。
A【遠藤村長】
大熊町の5キロ圏内に設置。そういう設置自体、今回のようなこと設定していない。内堀副知事が一度来たが、すぐに移動 大熊町⇒二本松⇒県庁 この間、オフサイトセンターからの情報は一切なかった。15日夜、副知事に「避難する」と県に言ったら、「屋内退避で十分安全担保される」と言った。それがオフサイトに連絡した唯一。
オフサイトセンターの役割は大きいので。20キロ圏外にサブがいる。現地に専門家がいなくてはいけない  スクリーニング:情報も訓練もなかったので、富岡の人が避難してきたときに、スクリーニングの指示も何もなく苦慮した 反省。

Q(茨城県議)未だに村内にいる人はどんな人か?
ビックパレットに避難を決めたのは、初めから頭に会ったのか?
A【遠藤村長】
現在300人くらい村内にいると思う 仮設から川内村に通いながら仕事をしている人もいる。 高齢者がいて移動できない家庭の人。哲学=「動かない」ポリシー持った人もいる。警戒区域にも2人 畜産家は家畜ほほおっておけない。36人は全然避難しなかった。
ビックパレットは駐車場が魅力 館長に直接電話でお願い 震災で壊れたところもあって難色を示したが押し切った
まず富岡町の避難のマイカーがすごかった 川内村から出ようと言うのが先だった。了解ないまま出た。ここしか浮かばなかった。