事業報告

平成24年度 定期総会・第1回研修会

全国災害ボランティア議員連盟 第1回研修会

【基調講演】あれから8年~その後の減災・防災~

  長島忠美 衆議院議員

 

・会長:挨拶:情報交換のプラットホームに
・かつての被災者である 感じた事を述べる あさってで7年半 当時山古志村村長
・発災時、自宅にいて全くなにもわからない状況 村民の安否、災害の状況を知りたいとまず思った。
・翌日、被災状況が目に飛び込んだ。住民の生命と財産守る この街での生活が大事だが、生易しい状況でないことが分かった
・1・2ヶ月で戻る状況でもない生活をどこで守るか。高齢者多く、冬が近い。「決断」
・たとえ村長でも財産を捨てろと言えるのかどうか、4~5時間悩んだ。3~3人の役員が賛成 
・翌日に決断  避難時間も切った。経験したことのないことの連続。
・初めに何をしたらいいのか、2時間自衛隊員と村内点検。
・職員に対し、言うべきことと、言ったことは違った。
・縦割りではうまくいかない。役場全課を廃止、相談は必ずその人が答えを返す。絶望の中の村民との信頼関係構築のためにはそれが大事となった。
・マスコミにどうなるかと口々に聞かれた。「経験したことのない地震でふるさとから避難した。能力以上。村を取り戻す戦いを、全国の人に伝えてほしい」
・39回被災地に。自然の猛威の中で、自らの力、謙虚であったか。いろんな意見やアイディアを自分の能力にプラスして被災地に向かうべき
・仮設住宅がなぜ2年か。被災者にとって2年が限界。その間に元に戻す努力をすべき。
・ふるさとを奪われたという点では、他の被災地と同じ。村長としてのその日の最後の仕事は避難所を回ること。
・避難しているとはいえ、甘えすぎていないか。ゴミは?自転車は?・・・自立の弊害になる。夜中に眠れないでポツンとしている人がいないか。
・毎日ノートに書いてほしいと約束したノートを取りにいく仕事。「何の目標も示さないで何を頑張れというのか、馬鹿村長!」と書かれていた。
・よく日「復興計画を立てる」村民に示す復興計画 思いをどう叶えるかを重点に計画を立てた。 ふるさとに帰ろうと言う思いの共有。被災地の先頭に立つ・・・そう言って村民にお願いした。
・大きな問題 帰村時期で大激論 2年で戻るとしたが、できない約束は良くない。2年で帰れなければ前進できない。結果、3年2カ月でも、2年の目標を掲げたのはよかった。
・東北、まだ目的が示されていない。個人情報保護法 被災地にとって コミュニティの長と話した。
・1年かけてやっと台帳作成できた。町内会長の努力。行政は個人情報をたてに、情報をくれない。
寄り集わなければいけない情報を住民サイドでは持っていない。
・被災地の情報の在り方は考えていかなくてはならない。
・瓦礫:去年の3月に出た言葉。自分が被災者だったらどう感じるか。片づけさせていただくときに、大切な財産だと思わなければうまくいかないのではないか。
・言葉の大切さ。より集う人の大切さをもう一度考えてほしい。
・ある学生が山古志に来た。「何をしていいか」聴いた。「そばに行ってほしい」「話をしてくれない」「話をするまでそばにいてほしい。寄り添ってほしい。」学生は高齢者の友達になった。
・そばにいてトモダチになって、一緒に考えていく。それが嬉しかった。
・ボランティアに有効な活動ができていなかった。皆がひとつの情報に群れていった。経験者に運営を任せた。連絡係の職員をつけた。
・うまくいった  ボランティアは思いの一念。縦割りに戻りがちだったが、ボランティアは関係なく駆け回ってくれた。
・ボランティアセンター⇒サテライトセンター(地域振興の拠点)
・災害が起きてからの対応に終始していることに課題を感じている。何かあったら集まってくれる人が、普段から集まっておくべき。
・役場機能がダウンした時のバックアップ体制。退職公務員を制度化。災害が起きた途端に、役場機能の3倍求められることを覚悟すべき。被災者対策に100、復旧・復興の道筋に100、通常対応に100で、300が求められる。
・人のネットワークを作っておくべき。情報:いざという時につかえるように。
・避難情報:23日夕方 25日3時に避難完了。5時半に現地で安否確認完了。短時間での確認は、区長が全村民の顔を見て確認。「短時間での確認!信じられない」⇒「濃密過ぎる人間関係」の村。
・都会と田舎は違うが、少し見習うべき。隣に人がいることほど心強いことはない。にこり、ぺこりから始めるべき。こんなに心強いことはない。チキを強くする原動力。
・最初、運命を共有するにはどうすべきか考えた。地域には個性がある。
・つらいだろうけど、現場を見せた。一時帰宅で状況を見てもらって、覚悟を問うた。
「帰ろう」「みんなで帰ろう、山古志へ」と思いを共有した。
・子どもたちのこと。悲惨な状況で子どもたちの心がぶっ壊れると心配したと思った人は多い。しかし、大人以上に前へ行く姿勢を見せてくれている。それに応えないのは行政・政治家の怠慢。
・子どもたちに被災地を見せないことが子どもたちのためだと思ったが、子どもの様子が変わっていった。避難所で大人たちが右往左往しているのに、自分たちは学校に行っている… 疎外感?
・こどもに被災地を見せたら泣いて帰った。2~3日後に挨拶したら「おはようございます。村長さん、頑張ってね。」と言った。子どもたちはあきらめていない。子どものおかげで頑張れると思った。
・子どもも高齢者もみんな社会の一員。みんなでいっしょに!
・災害はどの党のためではないし、平等でもない。かならず寄り添っていかなければ、命を縮めることになる。
・もう一回被災地に向き合って・・・神戸はずっと思いを持っている。
・日本。竜巻が襲来する状況になってしまった。まず「逃げろ」「命を助けろ!」

 

<質疑応答>
Q 川端:個人情報の問題 いきすぎ 輪島・門前でも3時間で安否確認できた。
A 個人情報保護法 地域の中で情報を伝えるシステムを作っていのではないか。拒否する人は抜けばいい。
Q 職員の定数削減(合併に伴う) 定数の在り方に関しては?
A 駆けつけ職員の決めごとを作っては?
Q 消防所のファイルの中に、火災警報器の位置まで把握。永平寺町の事例。
A 個人の看板を立てたら怒られた。集落ごとに決めごとがあると言い。
Q 合併の弊害で地域間格差。予算配分が小さいところはなくなってきた。傾斜配分は充実しているのか。
A 5年間は災害復旧費が織り込み済み。通常の行政では行政のやり方の問題がある。役場が遠い、議員が減る。軋轢がある。災害時はそんなこと言っていられない。
Q 復興計画を立てるときに計画した財源と、完成したあとの課題があったら伺いたい。
A 山古志では、法律いらないと言った。間に合わないから前例と言う言葉を使わないで、法の拡大解釈してくれ…と言った。山古志村のために関係省庁復旧会議を作ってもらった。
国・県にも入ってもらって会議を持った。2週間で答えが返ってきた。 年度35億円の一般会計1000億円の災害復旧を考えた。その他に自由に使える復興基金を3000億作った。10年間。
神社の復旧は行ったが、お墓とお寺さんだけできなかった。法律が足かせになる。法がない・金がないと言い出したら進まない。
Q 初期段階の民間との協定。建設業協会との協定などあるが・・・
A 2つの大手、あとは小さい。重機の鍵を全部くっつけていってくれと協力体制をとった。車の鍵も付けていってもらった。そのくらいの協定ができていた。
Q 大槌町で町長がなくなった。副町長がリーダーシップを取った。副町長は住民から選ばれた人ではない、議長でもいいという声がある。
A 災害の時に、村長がいない場合も想定しておいてくれと言ってある。特別職がみんないない場合も想定してもらった。村民を向いて仕事するなら責任をとる人を一人決める。責任持てる人を探す。議会は了解してくれ、専決 議会に全部話す。全責任取るから承知だけしておいてほしい。誰が責任取るかで決まる。
Q 行政区外への避難の御苦労は?
A 福島は大変な状況 我々と一元化しては語れない。批判を受けてもどう再生するかの問題。