事業報告

平成24年度 定期総会・第1回研修会

全国災害ボランティア議員連盟 第1回研修会
【ぶっちゃけトーク】 鼎談&フリートーク ~「被災地の本音」~

  高橋恵美子衆議 司東道雄元岩手県議 他参加議員 
  コーディネート:村井宗明衆議

 

(高階議員) 看護職 学生ボランティア:稼いでからやれと学校の先生に言われ続けていた。疑問に感じていた。ボランティアは対価を求めてやっているのではない。
・宮城、米どころ。地域への恩返しとして看護職を選んだ。家族ケア専門。地域に入り込んで障害者や患者と関わる。
・現場病棟 緊急搬送されてくる方々を日々見て、保健所で宮城8号水害、34年前の宮城県沖地震目の前の部活続けられず、校舎が崩れる。暮らしはいろんな人の工夫や努力で成り立っている。
・地震・水害からの普及はずいぶん違う。研究職、厚労省などで仕事。
・災害はひとつとして同じものはない。今回の震災は圧倒的に規模が違う。
・復興に要する時間は倍以上!? 30年、50年先の姿をイメージしながら動かなくてはならない。
・災害発生後、翌日党本部に「土葬は最後まで待ってください。」と言った。家族が確認してお別れする仕組みを整えないと、復興への道のりが長引く。
・残された被災者への支援、亡くなったかたへの弔い。
(司東議員)議連、持ち帰って議会質問していた。3.11後、すぐ動いた。NPOで1時間後には支援体制。沿岸部に物資を持っていこうとしたがガソリンなどなかった。ツイッターで「ない」とつぶやいたら、自分の車のガソリンを抜いても持ってきてくれた。
・内陸部にも支部にセンターを作った。1万人は利用。
・顔の見える支援。7か所。家族のような付き合い。本音が聞ける状態。
・ぶっちゃけ、怖い怖い・銀行行ってお金取る、レジでお金取る。消防団はモノとりの警戒 。
・お金持ちがますますお金持ちに。地震保険は高額、お金のある方にお金が出た。困っている人は職か遺体を探す。そうでない人が避難所で物資をもらう。
・困っている方に支援がいかない。避難所では世界のグルメを楽しんでいた。自宅避難者は当たらなかった。
・陸前高田 M団地 避難所におにぎり 20個で64人分。一口の人が続いていた。
・自主防 組織通りにやっている所は意外とうまくいっていなかった。うまくいったのは、リーダーを決めて班長を決めたところ。ボランティアで「やりたい人」と募ってやったところ。
・子供がかわいそうというイメージがある。少年野球などに物資を送りたいと言うところもあったが、被災していなくても高級バットが一人10本以上。一部が被災者。北上市では2~3日後には飲んでいた。もらうのが当たり前の人間になった。
・世界の一流歌手が来てもノーギャラ当たり前になった。これが本当にいいことか?
・せめて3.11間に戻すべきで、3.11前には夢みたいだったことを与えられて本当にいいのか?
・総合型地域スポーツクラブを作って小学生から高齢者まで会費制で行っている。
・雇用創出の活動 早稲田からNPOに入って勉強と現場のスポーツクラブの違いを感じ中退。NPOで活動。
(以下フリートーク)
・中越で自宅前避難者。ビニールハウスにいた人は支援されなかった。復興支援している。集落でがんばるぞという計画はやっと終わった。8年かかった。マイナスをプラスになる支援。復興支援の仕組みが必要だと感じている。
・実際に行政がもうちょっとならないかと思ったのは、水を手動で真水にする機会を持って回ったが「いらない」と言われた。ペットボトル何本も当たる。足らないからストック。タイミングが合わない。最終的に倉庫にたくさん余る。
・天理教災害救援隊 野田町などに自転車100台ほど持っていった。述べ何万人も入った。炊き出し、瓦礫、水。
・90トン持っていったが病院のトイレに使った。お役所は命令されたものしかできないのでごめんねと言われた。
・陸前高田ではペットボトルの水で洗濯。米は4月頭で5年分あった。捨てている。おにぎりの分け方はリーダー次第。
・余っているのを行政がうまく配ればいいのに。平等じゃなければだめだからとミスマッチ。
・社協:柏崎は市役所の天下りだったのでうまくいかず、刈羽はばんばん配った。
・クロネコヤマト、すごく活躍 最初からよく走っていた。ボランティアで避難所物資の調整を無償でしていた。
・日通:指定公共機関。クロネコヤマト:指定していなかった。見直さなくちゃ。
・中越での反省○一つの箱にいろいろ入っていた。○物資を長岡に集め、仕分けし直し、直接送るようにした。
・薬は仕分けした。必要したものをオーダー。
・神戸の教訓が生かされていない。緊急物資は世界中から。仕分けを六甲の奥の三木市に集め仕分け。今回それがなかった。
・行政は何もかも取り仕切れない。被災地の避難所を把握できたのは1週間以上。物資が届きだしたのは少し早かった。避難所と自宅被災者の物資の分け方は同じことが起こっていた。
・ボランティアが被災地に入ってきたときの受け入れができていなかったが、東北道のPAでボランティアを仕分けした。被災地へ押しかけた時に、区分けできていなかったことが多かったのでは?
・GWに休んだセンターが多かった。仕事を見つけることができないセンターが多かった。
・社協通しのボランティアセンターは問題があるところが多かった。一度だけ言ったら、ボランティアのためのボランティアが多かった。被災者をどうするかの話し合いではない。
・派閥争い、縄張り争いが多かった。瓦礫撤去、手作業ではどうにもならない。急ぐ必要でもなかった。まず住む場所!
・ボランティアの重なり具合。四川でも国に向かって自分たちのアピールの場になっている。よく聞かれた話。被災地から離れたところにバックアップ必要。
・社協に頼りすぎるのはいかん。日頃老人と障害者に対応している。うまくいったのはセルプ。 物資は茨木から栃木に行って仕分けした。授産施設の人たちに喜ばれていた。
・情報は社協通しで得られた。それ以外はできなかった。大槌の社協職員は地元ニーズをつかんでいたが、こういう災害の時に社協・社協と言うのはいかがか。
・自衛隊のあとに重機で活動。阪神では何でもいいと言われて運んだが、今回は最初から細かい分別。普段の作業の3~4倍かかった。日曜日には閉める。分別のために盗みやすい。
・神戸:一緒に処分場を作り、あとで何年も掛けて仕分けした。阪神淡路は直下型でそこばかりやられた。
・津波でごちゃごちゃ。遺体がばらばら。ひとつひとつ丁寧にやってほしいという片づけ方。歯がゆかったけど、丁寧にやった。
・宮城は水害の経験があった。いっぺんに集めると腐食が進んでさまざまな有機物がまざる。最初で整理でき、最終効率が上がった。
・防潮堤の作り直ししているが、瓦礫を積んで木を植えるのは危険。
栗原教授:ななめの引っ張りの力を使って作る。6月11日BS朝日11:00~
・被災地支援:いかに地元で生かせるか。公助も限界ある。共助、個人情報、一定程度備蓄検討、個人情報の壁がある。やる気のある人たちが知りえる方法がない。
・滋賀:危機意識がまだまだない。福井原発との絡みで意識が高まってきたが地震に対しては置き去り。風水害も含めて同時並行で取り組まなくてはならない。人員も不足。
・船橋:避難者受け入れ。ボランティア主導。行政の人がいざという時動ける体制を。
・原発の恐ろしさ。福島の再生なくして日本の再生なし。11億の収入の村に400億円の除染。ミネグリーンを。
・松戸 コミュニティの希薄化。どういう状況でどこの避難所に行くかのルール作りはこれから。コミュニティ機能のない所は難しい。柔軟な体制をというが、誰が率先して決めるのかと言う問題がある。
・坂井市:防災士 災害はかなら来る。キャパ無理。マスコミは無責任にあおるので注意がいる。
・仕分け 個人情報 社協 
・岡山 ボランティア経験がない。いろんな情報を役立てない。災害がない、地震もない、台風もほとんど通らない、関心のない街。人工増 自主防:50%以下 火事が多いが炊き出し競争。地域住民が知っている。
・習志野:センターいろいろ。しっちゃかめっちゃかなところも何か所。習志野は行政だけ。すぐ閉めた。社協:上が決めたと逆らえず。高速無料化 広報を バス過労運転 ボラバスが減った?
・東京:議会人として万が一のためにやるべきことを教えてほしい。PAA 特徴ある計画を。総合防災協定。
・問題意識の共有が大事。災害救助法 救急診療所 継続医療野課題 連絡先を持っててもらうにはどうするか。透析患者をどうするか、個人情報をどう使っていただくか課題。