事業報告

平成25年度 第2回研修会

● 研修3    「阪神淡路大震災を顧みて~そのとき消防に何ができたか~」
   
元神戸市長田消防署副所長 魚住 好司 氏

・当時、消防署長が倒れ陣頭指揮を執った。長田で生まれ育ったようなもの。
・燃え広がる中、P5写真の右下に、今いる。
・商店街、寂れ壊れ、新しいものが立ち並んできた。
・戦争では疎開を経験し、長田町は戦火にあっていなかったが、須磨は焼け野原。震災と重なる。
・南海地震に逢った。がたがたがたがた・・・・から、ユッサユッサ。しかし、阪神は下からドンと突き上げられた。
・地震の後、国会議員が「朝鮮人が火をつける」と発言し、朝鮮連盟から「わしら疑われとる」と電話があった。
・市職のOBが消防のふがいなさを本に書いた。「どういう趣旨か」と聞いた。
・生産技術研究所で中越地震に遭遇、震度3。男鹿半島でも日本海中部地震で津波に逢う。地震は体験してきたが、神戸では皆無。そこで起こった。
・気象庁は職員がじかに回って震度7、淡路島は野島断層があり震度7。
・六甲山系を断層が取り巻いている。六甲山は地震によって隆起してできたもの。これだけあっても地震への備えがなかった。山崎断層など動いた部分がある。
・昭和52年、豪雨で阪神・阪急止がまった。1週間み 
ぞさらい。
・消防が自ら発見した現場に駆け付けている。少なくとも7か所の火災。6時前後、狼煙のように煙が立ち上がっていて胸が詰まった。地域から救助要請がわんさか・・・。
・「水防倉庫の道具を出せ!」と言われ、バールなどを 
渡す。当初対応遅れ。6隊が2つの現場へ。
・神戸の消火栓は地震でもOKだったはずなのに、消火栓はすぐに水が途絶えた。
・17か所の火災が1日にあった。
・三田から応援。それぞれの地域がそれぞれに被害、対応。しかし、焼け石に水。100隊を超える部隊。
・関東大震災は朝餉、昼餉の不始末。
・「ぐらっときたら、まず火。」⇒動くことすらできない。足もすくむ。
・都市LNGの爆発。日本ガス協会、2万か所配管損傷。それも、建物の中の配管は含まれていない。ガス火だけが燃えている光景。
・大阪ガスは11時に止めたという。
・メーターが落ちて噴き上げている。近年は遮断弁がついていると言うが、H18年で2割。
・通電火災。街灯がついたとたんにパン工場からドンと火。№⒑のエリアを焼き尽くした。
・№7も、3階の作業場からドンと音がして火。電気通電ごとに火が上がる。
・家の中でトラぶっている電線を見ずに通電した。
・感電ブレーカーを提案したが、消防長会でも「検討」として終わっている。
・心苦しい中で今日を迎えている。
・隙間をボランティアが埋める。うれしかった。
・72時間が救出のタイムリミットと言うが、102時間で生存者を助けた。ローラー作戦を行って、地域の声で探した。
・生存者の確認は地域のふれあいが大事。家族・友人、地域のふれあい。防災福祉コミュニティーの取り組み。声掛かりのあるところほど救出も早いというのを戒めに
・3万5千人が生き埋め。「あのじっちゃん顔見えん。どうした?」・・・まずは挨拶から。
・一人一人の危機管理が大切である。