事業報告

平成25年度 第2回研修会

● 基調講演   「『1・17』の経験から見た『3・11』」
    復興副大臣 谷 公一  衆議院議員(議連理事)

・兵庫県庁入省後、自治省にも出向。財政畑。30歳で神戸に帰り、1月17日、知事査定が始まる当日に地震。数か月の積み上げが消え、白紙の状態から予算編成。防災局長も務めた。
・平成15年11月9日投票日で丸10年国政にいる。但馬・丹波・三田・・・選挙区が広い。仙台と気仙沼くらいの感覚。
・東日本大震災の震災当時は野党。自民党本部で災害対策本部の事務局長を長島先生とともに務める。中堅若手でフットワークいい人で事務局。いろんなことをやった。都道府県支部を通じての義捐金募集3億円、救援物資も集める。
・昨年末政権交代。現在復興副大臣。
・東日本大震災は被災エリア500~600キロの桁違いの広さの災害。241自治体が救助法適応。阪神淡路はその10分の1程度。

・スマトラ地震津波、チェルノブイリ原発事故、四川大地震などの大きな災害が一度に起きたようなものだという専門家もいる。相当大きな複合巨大災害。これまでの災害の例にとらわれて復旧・復興を進めることはできない。未曽有の大災害だと頭において進めなくてはならない。
・国の財政状況は良くない。阪神淡路の時、国は300兆円の借金(GDP以内)。今はGDPを超えて1000兆円の借金。人口も減少中。被害を受けた沿岸部はもっと人口減少率・高齢化率が高い。神戸の時は高齢化率14%←今では考えられない。
・とんでもないほど多くの犠牲者も出した。陸前高田市、大槌町、女川町などでは、1割を超える方々が亡くなられたり行方不明であったりする。神戸で一番ひどかったところでも犠牲になられた方は0.7か0.8%。自治体職員も、町長も亡くなっている。若者、中核となる人たちも大勢亡くなった。ショックだったのは消防団員も250名亡くなられた。これから地域の中核になって活躍する人たちだった。阪神では1名と記憶している。連日救助に向かっていて帰宅後「疲れた」と息を引きとられた震災関連死。医者不足など、疲弊した地域で残って頑張っておられた人が大勢犠牲になった。厳しい状況。
・復興庁のパンフレット。「P5」今なお50万人近くの方が仮設住宅、民間賃貸住宅におられる。福島の被災者の方々は、全国に散らばって避難されている。
・この状況で、国がどう支援してきたか。多くの法律を作った。期限切れ延長などもあるが、H23~24だけでも63本、それに関連する政令、省令は数百本になるだろう。議員立法は3分の1以上。中核となるもののほとんどが議員立法。「復興基本法」も議員立法。がれき処理を加速するための「がれき処理促進法」も議員立法。原発事故に対して国会自らの審査も必要だと、「原発事故調査委員会法」も作った。「そこまではどうか」という声もあったが作った。福島事故の損害賠償は東電だが現実支払いが遅いので「原発事故仮被害者仮払法」。二重ローン問題を解決する「事業者再生支援機構法」。18年前の阪神淡路大震災でも大きな問題があったがどうにもならなかった。それを突破するため古いローンを買い取る法も作った。他に、「子供被災者生活支援法」など。
・何故こんなに議員立法が多いのか。前政権も努力したが、謙虚さ、組織・役人活用、ノウハウなどが欠けていた。長期政権を担ってきた自民党や公明党が助ける形で議員立法をたくさんつくった。それを与党が呑み込んで成立。与野党でやらざるを得ないほど切迫していた。政府からは大きく踏み出すものが出なかった。政治主導になっていなかった。我々も政府に歩み寄って法律をつくっていった。
・震災後印象に残っている歌「長谷川櫂」作『かかるとき、かかる首相をいただきて、かかる目に合う日本の不幸』・・・大震災、原発への対応する首相を見て一気に読んだ。そういう風に言われる政治家になってはいけないと強く思った。・委員会でこの歌の感想を菅首相に聞いた。これからの政治生活でいろいろあるだろうが、そういわれる政治家になってはいけないと思っている。謙虚さ、汗、知恵を出す、もしくは知恵のある人に聞く・・・そういうことが大事だ。
・国の支援は今回大きく踏み込んでいる。阪神淡路と今とではずいぶん変わっている。阪神淡路大震災の時は、日本が豊かになってからの初めての大震災。「道路のがれきは行政だが、うちの中のがれきは個人で」というところからスタートした。今そんなことを言ったらピント外れと言われる。災害において、個人の住まいであっても税金で「撤去」すると決まった。しかし、「住まいの復興」は個人。全壊家屋で30~40万円の義捐金配分だった。しかし、街の復興は「住まいの復興」なしにはあり得ない。「個人の住宅復興にも税金を。」と、労組なども多くの署名を集め数年後「被災者生活再建支援法」成立。全壊家屋を立て直す時は最大300万円出る。
・ポートアイランドを復興特区にして、税制上の特例措置を提言したが、相手にされなかった。全国の中でそこそこ裕福な自治体がそういうことをするのはいけないと叱られた。今回は「復興特区制度」を作った。
・グループになった個別企業にも「グループ補助金」、被災地に企業を作るときは「企業立地補助金」。自治体へはそうとう自由度の高い「復興交付金」。震災時兵庫県の財政課だったが、神戸のために交付金を200億だけ増やしてもらった。今回は別枠で「震災復興特別交付税」。別枠で「震災復興特別交付税」。復興庁も創設。冷静に1・17と3・11を比較すると、様々な支援が幅広く分厚くなっている。
・復興の国の予算は25兆円(5か年)と決まっている。18年前は6兆円。震災後、「兵庫県がひっくりかえるのではないか」と思った。地方負担はほとんど借金。「復旧まではいいが、復興はいけない、焼け太りはいけない。」と言われた。前と同じにするのではいい復興ではない。結局借金をして復興した。人と防災未来センター、日赤、美術館、ジャイカなどほとんどを借金で作りなおした。今なお兵庫県の公債費に影響している。
・現在被災地は、現在のところ被災前と後で借金は増えていない。大災害の後のお金のやりくりに頭を悩ますが、今のところ(支援が手厚いので)借金を増やしていない。
・現状、今なお30万人避難者。がれきは、中心市街地に山積みのところはなくなったが住宅、復興まちづくりは時間がかかる。同じところに住まいを建てられない。
・様々な復興を早める手立てを取っているが用地買収が難しい。弁護士・司法書士など500人のリストを作り、法務局の職員も沿岸自治体所管の職員も増やすなどして頑張っているが、冷静に考えると相当かかる。

・3・11から2年半。仮設住宅のピークから1割も減っていない。阪神淡路の時は2年半で4割自立、3年目で5割。3年たちといかに仮設住宅を集約するかを考えていた。学校の校庭を早く子供たちに返したいと考えていた。集約は難しいがやらなくてはならなかった。こういうことを考え始めた時期だった。東北では3年目で5割とはとてもいかない。相当長く支援が必要。
・阪神淡路大震災では900人あまり震災関連死。東日本大震災では今年3月末で2,688名が震災関連死。仮設住宅生活が長引くほどに関連死が増加。災害で助かった命が亡くなる。大事なのは目に見える形で「もう少し頑張れば○○になる」という目標が必要。産業復興も街づくりに絡んでくる。南三陸でも女川でも陸前高田でも、そこで街づくりができないと、商売にならない。商店街ができて人が集まって・・・と考えると、まだまだ課題がある。
・ボランティア。今も被災地に来ていただいている。高橋さんが復興庁に来て新幹線代・飛行機代ただに・・・と要請されたが難しい。JRがOKしなければならない。現実にどのようにして「ボランティアだ」と仕分けするのか。各自治体がボランティアに対して支援、それを特別交付税で見るという通知を出してもらうことにした。ボランティアプラザは別団体だが兵庫県からの助成が相当部分占める。自治体の助成は8割相当は特別交付税で見ると通達してある。
・福島の問題はまだまだ。線量の基準問題がまず一つ。また、東電の責任問題がある。廃炉までの経費、汚染水問題、賠償、中間貯蔵施設・・・原因者負担という筋論を言っていても、現実にうまくいっていないのであれば結局泣くのは被災者。そう考えると国も踏み出すべき。大島自民党復興加速化本部長が官邸に来週申し入れると思うが、福島の問題は国が踏み出すべきという提言。いろんな議論はあるが、「こうあるべき」というのは評論家。避難者が前に進めないのは政治の責任。
・1ミリシーベルトの問題。帰還を前提としてきたが、10年で変えることができるか?
「いつかは帰れる。」では生活できない。これからの生活設計のために、「がんばれ、いつかは帰れる。」だけではいけない。決断しなくてはいけない。
・風評被害は深刻。農産物、魚、観光・・・今でも様々影響している。これは重たい。国としても正しい情報を提供していかなくてはならない。
・人口減少、医師不足、「福島」というだけでもなかなか人が支援に入らない。全国地域が地域活性化で悩んでいるが、そんな中には特効薬はなく、地域に応じたことを工夫しながら頑張らなくてはならない。被災地の復興はそれ以上に難しい。
・長先生の資料。信州佐久病院から石巻市開成地区仮説診療所に。「医療・福祉」がこれからの東北の復興のモデル事業。
・除染の一部を復興予算で見るのであれば、25兆円の中をどうするのか。
・人の問題もある。職員派遣は、それぞれの県の職員として採用してもらって、被災地に3~5年間派遣。兵庫県は岩手県の市町村に最大5年間派遣。トレーニングの場所ではない。仕事のイロハもわからない人は困る。電気や用地など専門職の経験が欲しい。
・採石の調整、生コンクリートの調整など「そこまでやるか?」ということまでやるようにしなければ復興は前に進まない。これらについても頑張っていきたい。
・石巻の商工会議所の人たちから『担保』について相談を受けた。事業再生補助に4分の3の補助、4分の1自己資金。水産加工復興に10億掛かって7.5億もらった。水産庁と経産省で、補助金が入ったものを担保にできるかどうかで対応が違った。平時なら水産庁のいう「補助金の入ったものは『担保』に使えない」ということだが、現実問題は経産省のいう「担保に使っていい」という対応でなければ、現場は進まない。平時と非常時は違う。
・できる限り現状に合わせて頑張っていきたい。「通常時の発想ではダメだ。今は通常時ではない。法に引っかからない限りできる限りやる。ことによっては、法の在り方も変える。」と部下に言う。そこまで腹をくくってやらなければダメだと。
・岩手は用地買収で困っている。自治体が仮に取得して、クレームには後で対処するということにすべく弁護士と詰めているが、さすがに憲法に抵触する。後で違反することは裁判所で『無効』になるのでかえって迷惑になる。大きな壁がある。何か手当がないか考えている。逆に言えば、法や政令が壁になっているのであれば、憲法に違反しなければできる⇒税金投入のことなので、理解を得る必要がある。
・福島に関しては、国と東電の見直し、経営形態の在り方についても、いよいよ議論。
・まだまだ時間のかかる復興の途中。怖いのは、重ねて大災害が起きること。阪神淡路の時に苦い経験がある。1.17大震災。メディアにも取り上げられ、東京に何度も通った。同情的に対応してもらったが、「十分やった、焼け太りはダメ」と言われ出したのが「サリン事件」後。人の心は移る。
・復興を絵に見える形で早められるよう、尽力していく。東日本大震災だけでなく、様々な自然災害にあった現場に出向いてほしい。それぞれの自治体で防災力を高めるためにも、被災地で学ぶことは多い、危機管理能力を高める必要性がある(大島の事例)
・震災当時、待機宿舎に入った。携帯の通じない所にはいってはいけないと言われた。
自衛隊の直通電話を首長が知っているか?顔の見える関係を作っているか?応援協定は組んでいるか?それぞれに見直し、それぞれの活動に尽力してほしい。