全国災害ボランティア議員連盟
NPO法人昭和横丁代表理事 志田 篤 氏
(福島県川内村仮設住宅 南1丁目自治会長)
議連顧問 元福島県議会議員 吉田 公男 氏
●吉田氏
これまでの被災地の経験で、支援物資に米を要求されたことはなかった。
今回、復興が進んでいるとされているところから米を、と言われた。遠藤村長が帰村宣言して頑張っている地域だが、日向もあれば影もある。
いち早く帰還して賠償打ち切りにより深刻化していると言える。
原発の事故の問題はいろんな分野にまたがっている。
●志田氏
エンドレスに近い状態に追い込まれているのかなあと思う。
現状は伝えられる。持ち帰ってほしい。
川内村 20キロ圏に一部かかっている。
平成23年3月15日、避難命令が出され人口およそ2,900人が47都道府県に避難、1,000人弱が郡山のビッグパレットに避難した。3か月後に仮設住宅に入居。
帰村宣言(首長の思想信条によるものではなかったか?住民合意は未だった)が出され530人は帰村。900人は村外から通い、仮設13か所では650人が生活。1500人は県外、または借り上げアパートなど。定義上、週4日村に通えば帰村とみなされたので、適宜上1455人帰村。
行政は万全を期していることがたてまえで、「お米が欲しい」という窮状を訴えると無視される。
川内村は単独で生活がなりたたない。医療、スーパーなど片道1時間半かかり(従来は20~30分以内)教育・医療・買い物難民となる。1時間半で救急車では途中で死んでしまう。医療現場の崩壊、双葉郡の高校休業・休校。
放射能汚染問題もあり(除染が進んでいない)若い人は帰らない。家や土地を守るために60歳以上の人は帰る。宅地の除染はしても、村全体の1割にも満たない。
森林はやらない。除染効果もまた徐々に線量が上がる。
除染の土などフレコンパックには2トン入る。除染で1軒から最高400袋出た。13万7千個3か所に保管している。セシウムは移動するので線量は上がる。除染は4割。環境庁の0.2なんていうのは夢物語だ。
低線量被曝に対する恐怖がおののいているので若い人は返ろうとしない。川内、飯館、低線量による推定被ばく量0.3~0.5被爆。でも安全だと言われる。生活の場で被ばく?
賠償の問題と生活の困窮。20キロ30キロ、さらに区域の区切りがあり民事賠償がある。
帰還困難区域は移住政策。そこに対する賠償は手厚く出ているが、線引きがラフなのでトラブルが多発。各世帯で交渉するなり弁護士に依頼したり。
20~30キロ 避難指定解除になった時点で自主避難扱いとなり賠償は1年で打ち切り。精神的賠償を打ち切られると生活保障がない。
帰還1年のスタートをいつにするかにもよるが救済が必要であろう。川内村はすでに打ち切られており生活困窮者がでてきている。緊急雇用等で雇用を増やしても雇用者となれない高齢者ばかり。
4万6千人の自主避難者の支援を。今後広野や南相馬、復興が進めば進むほど川内村の状況が次々と起こってくる。
食うに困っている人たち 「米と味噌」がほしいと言う状況、それをカバーしていかなくてはならない。
始めは仮払いで1世帯100万円、一人30万円3か月、20~30万円義捐金、始めポンポン入った。その後借り上げや住宅に。
賠償は1年半で打ち切られた。終期の説明がなかった。24年の選挙でも聞かなかった。
寝耳に水で賠償が打ち切られた。今、富岡町の駐車場新車が並ぶ。1世帯当たり5,000万円も・・川内村は賠償打ち切り。
富岡町の高齢者は病院その他タクシーで、川内村は歩く。
『分断と恐怖』、賠償も分断。同じ命令で逃げたのに大きな格差が生じている。
4万6千人、解除で徐々に自主避難扱い。生活できない人たちが出てくる。市営住宅満杯で、復興住宅も間にあわず。
お盆と正月、自治会長はつらい。しっかりした子供たちが迎えに来るのは1~2割。子どもを頼って逃げるが「親戚で2日、娘息子で1週間ならいい方」と言っている。子供と同居は1割。
被爆の恐怖があるので、解決が難しい。
以上の報告を持ち帰って考えてほしい、また、何らかの支援をお願いしたい。
⇒ 研修終了後、このお話を聞いた福井県議会議員の山田庄司さんは、早速、お米を議連名で川内村仮設住宅へ送ってくださいました。また、岐阜県議会議員の川上さん、事務局細川、それぞれ、仮設住宅を訪ねています。
ネットで支援を呼びかけ、お米の他トイレットペーパー、洗剤、缶詰などをお届けした川上さんからは、「支援物資は消耗品が喜ばれる。200戸に配分するので、配りやすいロットがいい。」とアドバイスをいただいています。
※避難指定解除になった地域の生活状況には、息の長い支援が必要だと痛切に感じています。各位のご支援ご協力賜れれば幸いです。