全国災害ボランティア議員連盟
現地視察 楢葉町災害現場(20キロ圏内)調査・研究
楢葉町災害対策本部 鈴木 博 氏
細川事務局長:
20キロ圏内に入るに際し、鈴木課長、坂本係長にお力添えいただいた。バ
スも断られたりしたが、なんとかハードルを越えて調査視察が実現できた。楢
葉町は独自判断で速やかに避難させることができた街と認識している。お話を
伺いたい。
鈴木課長:
楢葉町役場は除染してある。防護服は、国・県から来ている。使い捨て。ス
クリーニングはJヴィレッジで行う。
楢葉町の現状について。
東西13キロ、南北11キロ、面積103.45㎢、人口7700人の町。
昨日臨時議会だったが、4月に警戒区域見直しがありそうだ。線量計購入。
町民には、個々の自宅の中や周辺の汚染状況が見えない。線量計2800世帯分
購入。
11日発災。8回ほどの震度5の揺れがあった。津波10m以上。
いわき市に5000名避難、県内に8割、1500名が県外避難。
警戒区域なので家屋被害調査はしていない。航空写真を利用して生活再建支
援125軒。警戒区域見直しで調査する。屋根が壊れている。夏にビニールシー
トで覆った。雨漏り等あって長期化するほど家屋が痛む。
坂本係長:
11日からの主な出来事を述べる。資料参照。
11日 14時49分 大津波警報。避難指示発令。
午後3時 災害対策本部設置。
1次避難所に住民避難⇒2次避難所に(福祉会館や小学校など公的な建物で
住民の多く入れる所で鉄筋コンクリートのもの)
11日は地震・津波対応で忙殺されていた。外部通信は取りづらく、電話複
層でつながることはまれ。県とのやり取りの衛星電話も込みあっていた。情報
はTVからしか得ることができなかった。
5時44分 第一原発事故。10キロ圏内避難指示。
7時45分 第二原発で3キロ圏内避難指示と10キロ圏内屋内退避指示。
8時00分 楢葉町全域に「いわき市方面へ」と避難指示。『草野小・中学
校』という具体的に場所指示。いわき市とは災害協定が取り決められていたか
らできたこと。たまたまつながった電話で、町長同士のやり取りで避難先を判
断した。限られた人数しか入れないので、そのあとを考えるとパニックに近い
状態だった。その後再協議して、8か所の避難所確保。5366人収容/楢葉町住
民は8042名。
中央台南小に災対本部設置。
14日 いわき市への避難者が5771名に(最大)。⇒避難所は最終的に南小
1校に集約
15日 1F2号機、4号機で爆発音。ヨウ素剤服用で議論があったが、放出
の風向きから服用指示までは至らなかった。
16日 災害協定を結んでいた会津美里町へ移動。
18日 楢葉ときわ苑の要援護者、初めは健常者と一緒にいたが、衛生的に
もかなりきついので、平田中央病院と相談して移送。いわき市で避難場所9か
所⇒1校に集約。会津美里町への住民の移動。25日までを一区切りとして移
動。災害対策本部も会津美里町に移動。
避難所生活:食生活は栄養面からもきついものがあり、病人も出たので、旅
館等への2次避難も開始された(4月3日から)。その後健康も回復。
4月22日 20キロ圏が警戒区域に設定され楢葉町に入れなくなった。
残留者が5名いる。説得したが今もいらっしゃる。通行証発行などの対応を
している。
4月26日にはいわき明星大学に出張所開設。
避難先決定はトップ同士の話し合い。8町村がいわき市と協定結んでいた。
当日、楢葉町長がいわき市に電話を入れて決まった。交通手段は、町バスで
ピストン移送。午後の早い段階で移動完了。山間部の県道を使って避難。スク
ールバスや社協バス5~6台所有。職員で運転。山間部の道を移動した。
坂本G 県会議員3人避難中。家屋はしっかりしている。5回ぐらい掃除し
た。